雑記、11

 またナンバリングが飛んだ。朋花の解釈を綴っていたのだけれど日が経ってしまってイマイチ勢いがなくなってしまった。いつかは書きたいがまたこれも欠番となるかもしれない。節目である10がなくなってしまうというのはなんとも締まらなくて、僕らしい。

 書きたいことはそんなにないが、暇なのと少し間が空いたので適当に書こうと思う。よって主題もアイドルもない。

 暇を持て余し始めた。
 こんな下らないブログに手を出したり、連日スロットに興じたりしていることから察しているかと思うが、とても暇な日々を過ごしている。少しだけ暇だとミリシタをやるモチベが出るが、あまりにも暇だと他のことをやってしまうのでミリシタが捗らない。とてもまずいと思う。まあ店長のミスなので来週にはそうでもなくなるのだけれど。

 相変わらず感情が氾濫している。
 9.5を消していないのは単純に忘れていただけなのだけれど、一応理由付けをするとすれば消す必要がなくなりつつある、というのがある。
 何のことだかわからない文章の羅列だったと思うが、アレは僕にとっては感情を片っ端から吐露し続けたもの、というのが正しい。そして、一度出した感情をしまうことがとても難しい。
 というか、言語化した事によって余計に増幅した気がする。愛も正義も止まらない。ここ数日は常に苛つきと共に過ごしている。まあスロットで大敗しているのが原因な気がしなくもないが。

 一人称について話をする。
 僕は意図的に一人称を使い分けている。稀にしか使わないor何らかの構文としてしか使わないものを除くと、僕、俺、私の三種を使い分けている。
 端的に言い表すと、僕はデフォルト、俺は外面、私は内面、だと思って使っている。実際にどう見えているかは知る由もないが。
 ある程度誰しも使い分けているものだと思う。普段は俺を使っている人でも、初対面の人間には私なんかを使うことが多いのではないだろうか。特に目上の人間には。
 僕はこれを使い分けるのが好きで、意識して人格とまではいかないけれどそれに近しいものを一人称に合わせて捻じ曲げている節がある。lilacc_timeは初期こそ僕ばかりだったけれど、最近は俺がほとんどになっている。理由は単純で、傲慢で強い自分の像を使うために俺を多用しているというもの。ネットの僕が現実の立ち回りに似てきたというのもある。

 僕は厨二を抱えている。20歳にもなって。
 不治の病なのだと思う。未だにクサくて仕方がないフレーズにカッコよさを感じてしまう。流石に旅行先の剣なんかにはもう惹かれないが、二重人格なんかには憧れがあるから、そういった部分からわざと使い分けをするようにしている、というのはあると思う。

 随分と日が飛んだ。約2週間程度だろうか、書き始めた頃の主題は忘れてしまった。あったのかどうかも定かではないが。

 本当に下らない、もう終わってしまった話をする。

 心底思い知った。
 そうだとも、僕は一度はかのコンテンツを推してはいたが、今は本当に嫌いだ。
 理由のない不平等が嫌いだ。だから世界が嫌いだ。
 きっと梅木音葉に2枚目の最高レアが作られる事はない。よしんば作られたとしても、それは有名なキャラクター達に十何枚と最高レアが実装された後の事だろう。
 得体の知れない、選ばれたキャラクター達。生まれながらにして成功が約束された新参者。
 本当に何が良いのかわからない。苦労や努力によってキャラクターが輝く、だなんて精神論的な事を言うつもりはないけれど、だとしても先人にリスペクトを持つこともなく我が物顔で振る舞っている彼女達に僕はどうしてもプラスの感情を抱くことができない。

 同じものを同じ温度で愛せない人間が苦手だ。
 同じものを同じ温度で恨めない人間が嫌いだ。
 同じものを見ているのに、そのはずなのに、僕の見ている世界はこんなに酷い形と色をしているのに、愚かな人間はそれを愛せてしまうのか。僕には到底理解できない。

 災いあれ!