雑記、3
今日は昨日から書きたかったネタがあったので書く。テーマは自分のルールと正義、アイドルの話としては高山紗代子。
4thday2に魂を持っていかれた。本当に完璧なライブだったと思う。3rd幕張も相当なものだったが、それを遥かに上回っていた、と僕個人は感じた。
その中でも、ライブを見てから特に好きになったユニットがアクアリウス。元からラクリマはかなり好きな曲ではあったものの、構成メンバー自体はそこまで好きではなかった。
そこまで好きでなかったとは言っても、どちらかと言えば好き、くらいの位置にはいた。麗花は元から好きではあったし、ジュリアもキャラが好みというわけではなかったが曲に関してはトップクラスに好きだった。dzealやアイルなどのユニットの構成員であることも手伝っていたと思う。
そこまではいい、そこまでは。
問題は紗代子だった。まず僕個人の好みとしては、どちらかと言うと好きではないタイプのキャラだった。というよりは興味がなかった、という方が正しいかもしれない。どちらにしろ推そうと思うことはまずなかったと思う。
けれど今はかなり好きな部類に入る。イベント上位が今くればPRまでは確実にやるだろうし、ガチャも少しは引くと思う。
好きになってしまったのだから仕方がない、というのはその通りなのだけれど、僕自身がそれを納得できない、というのはなかなかに拗らせているなと我ながら感じる。
アイドルマスターというコンテンツに触れる上で、自分に課しているルールがある。
担当を自分の象徴に使わない事、好きな理由をキャラクターそのものに持つ事。他にも無意識のうちにやっていることはあると思うけれど自覚的に重要視しているのはこの2つで、今回の場合は2つ目の方に反していると考えている。
今の時点で、高山紗代子の好きな部分を挙げろ、と言われたら僕は恐らく歌が上手い、としか答えられない。何故ならキャラクターを知らないから。
アイドルに真摯に向き合っている、という点は僕が好きなものの1つだけれど、それはかなり多くのアイドルに当てはまると思うからやはり好きな点にはなり得ない。
僕の事をある程度知っている人間であれば今更言うまでもないだろうけれど、僕は声優がすごく嫌いだ。
その延長線上として、アイドルの事を声を理由にして推す人間が嫌いだし、自分はそうしないように心がけている。
にも関わらず、僕は声を理由にして紗代子を推そうとしている。
勿論これから知っていけばいい、というのはその通りだし、実際そうするつもりなのだけれど、それでもやはり自分自身は納得させられない。
最近牙が抜けてきているなと思う。ライブそのものを嫌っていた僕は今やライブを実況する側に回っているし、声優の名前も覚えつつある。
負の感情を原動力にして動いてきた過去が消えてなくなるわけではないが、大衆に迎合していく自分にふと気づくと恐ろしくもある。
自分の正義だって歪む。変わらない部分が歪んだパーソナリティから削げ落ちていく。どうせ真人間になれないなら狂いきったままでいたいな、と思いながら紗代子の親愛度を上げている。
箱崎星梨花も最近可愛いと思うけどアレは喋らない方が可愛いです。おわり
雑記、2
どちらかというとこちらが本当に書きたかったことで、続けて書こうかと思ったのだけれど、あちらの文があまりにもとっ散らかっていたので途中で読むのを辞めていそうだな、と思ったため別記事とする。
内容は最上静香。
きっかけは伊吹翼pのお気持ち表明ブログ。URLは面倒なので貼らないが、まあその中の主張にあった「伊吹翼は成長をしていない」というものが少し気にかかった。
伊吹翼の話はまた今度するとして、僕はブログを読みながら最上静香の事を考えていた。
簡潔に言うと、僕は最上静香こそ成長していない物の一ではないか、と考えている。
正直な話、かなり前に追加されたメモコミュ4・5があまりにも拍子抜けだったのが未だに納得いっていない、というのが大きいとは思う。
ミリシタがサービス開始から二年経って、やっと追加で提供されたアイドルのパーソナリティを掘り下げるメモコミュで、彼女は親との確執を明かした。
僕は全ての追加されるコミュの内容を覚えているほど熱心な箱推しではないし、そもそも最上静香のコミュすら完璧とは言えない程度の記憶力だが、他のメモコミュを見てもここまで展開の遅いアイドルはほとんどいないと思う。
最上静香が親との確執でアイドル活動に期限を設けられている、なんて事はミリオンライブをある程度嗜んでいる人間なら全員が知っているようなことで、そんな常識的な情報を提供するのにミリシタというコンテンツは2年間を費やしている。
彼女が抱える課題は何一つ解決されないまま3年が、ミリオンライブというコンテンツ全体で見れば7年が経っている。
ミリシタへの恨みを綴るだけになってしまったし結論を忘れたのでやめ 気が向いたら書く
雑記、
墓参りに行った。
墓参りは僕の数少ない家の外で行う趣味だ。
墓参りというよりは散歩が好きで、進行方向を西に決めた場合は行く当てがないから墓を参ることにしている、というのが正しいかもしれない。けれど散歩は趣味ではないし、墓参りは趣味だ。
墓の中身は色々入っているのだろうけれど、僕の目的は祖母だ。
ここまで書いて本題が遠ざかっている気がしたので残りは割愛、雑記なので雑に行く。
まあとにかく祖母は6年前に死んでいて、それ以降墓の中からは出ていない。にも関わらず今日は僕の頭の中まで出張って来たわけだから死人というものは気ままなものだと思う。
内容はよく覚えていない。けれど、祖母が存命だった頃の記憶を追体験するようなものだった。
お世辞にもいい孫だったとは言えない孫だった。月に2回ほど祖母の家を訪れては、携帯ゲーム機を弄り続けていた。当時の僕にとって祖母の家は都合のいいゲームセンターでしかなかった。
遊びに連れて行ってくれるという話や、好きな物を買ってくれるという話を無視したのも一度や二度ではない。
今朝見ていた記憶もそういう物だった。ただ、当時と違ったのは僕の精神性が20歳の僕であるということだった。
針の筵に座っている気分だった。それも小学生の僕が作った針の筵に。思えば当時から人の思いを踏みにじるのは得意だったのかもしれない。
それから祖母が入院中の頃に切り替わった。白血病を併発していた為、外出は全く出来なかった。それでもなお僕の事を可愛がってくれていた(ように思う)。
ほどなくして死んだ。進行はひどく速かった。怨嗟の声が聞こえて、飛び起きた。
ここで僕の夢は終わり。実際には怨嗟の声なんてなかった。最後に会った時には何も喋れなくなっていたはずだ。
意味はわからなかったけれど、自分の心情はわかった。僕は怯えていた。答え合わせは存在しない。死人に口がない事に深く感謝した。
墓参りに行くのは趣味だ。祖母は墓から出てこないし、喋ることもない。答え合わせが存在しないことを確かめて、終わり。
死んで欲しいと思ったことはたったの一度もなかったが、死んでしまった今では生き返らないでくれと願っている。
次こそは出てくるなよ、と手を合わせて念を送るこの瞬間が酷く冒涜的で、僕の趣味だ。