雑記、
墓参りに行った。
墓参りは僕の数少ない家の外で行う趣味だ。
墓参りというよりは散歩が好きで、進行方向を西に決めた場合は行く当てがないから墓を参ることにしている、というのが正しいかもしれない。けれど散歩は趣味ではないし、墓参りは趣味だ。
墓の中身は色々入っているのだろうけれど、僕の目的は祖母だ。
ここまで書いて本題が遠ざかっている気がしたので残りは割愛、雑記なので雑に行く。
まあとにかく祖母は6年前に死んでいて、それ以降墓の中からは出ていない。にも関わらず今日は僕の頭の中まで出張って来たわけだから死人というものは気ままなものだと思う。
内容はよく覚えていない。けれど、祖母が存命だった頃の記憶を追体験するようなものだった。
お世辞にもいい孫だったとは言えない孫だった。月に2回ほど祖母の家を訪れては、携帯ゲーム機を弄り続けていた。当時の僕にとって祖母の家は都合のいいゲームセンターでしかなかった。
遊びに連れて行ってくれるという話や、好きな物を買ってくれるという話を無視したのも一度や二度ではない。
今朝見ていた記憶もそういう物だった。ただ、当時と違ったのは僕の精神性が20歳の僕であるということだった。
針の筵に座っている気分だった。それも小学生の僕が作った針の筵に。思えば当時から人の思いを踏みにじるのは得意だったのかもしれない。
それから祖母が入院中の頃に切り替わった。白血病を併発していた為、外出は全く出来なかった。それでもなお僕の事を可愛がってくれていた(ように思う)。
ほどなくして死んだ。進行はひどく速かった。怨嗟の声が聞こえて、飛び起きた。
ここで僕の夢は終わり。実際には怨嗟の声なんてなかった。最後に会った時には何も喋れなくなっていたはずだ。
意味はわからなかったけれど、自分の心情はわかった。僕は怯えていた。答え合わせは存在しない。死人に口がない事に深く感謝した。
墓参りに行くのは趣味だ。祖母は墓から出てこないし、喋ることもない。答え合わせが存在しないことを確かめて、終わり。
死んで欲しいと思ったことはたったの一度もなかったが、死んでしまった今では生き返らないでくれと願っている。
次こそは出てくるなよ、と手を合わせて念を送るこの瞬間が酷く冒涜的で、僕の趣味だ。