雑記、27

 主題は恨み。壁打ち故、悪しからず。

 

 

 妹が死んだ。

 本当に唐突に死んだ。心の整理の間もなく徳島に招集され、心の準備もできぬままに葬式の準備をし、通夜を終え、今この文を書いている。

 

 そもそも妹とは別に仲が良くない(なかった)。むしろ悪いと言っていい部類だろうし、向こうも私のことを少なからず嫌っていただろうと感じている。現にここ数年は連絡の一つも取っていなかったし。

 現実感がなかった所為でもあるが、徳島に向かう最中には悲しむことができるか、という心配ばかりしていたような気がする。

 

 遺体を見て泣き、親戚と話をして泣き、焼香をして泣き、今も泣いている。生前は彼女に気を配ることすらなかったものを、我ながら都合のいい話である。

 悲しみながら、悲しむ権利があるのか、という思考が頭を巡り続けている。

 自殺だった。遺書などはないが、彼女のアカウントには両親への恨みがつらつらと記されていたらしい(とは警察の談)。まあそれは正直納得の話ではあるのだが、だからといって私に恨みがないわけでもないだろう、と思う。そのくらいには兄として良い事を何もしてこなかった自覚がある。

 

 仮に、自分が自死を選んだ立場だったとして。 死の間際にまで恨みを述べるほど恨んでいる両親と、何もせず責任から逃れて自由奔放に暮らしていた兄が皆、一様に悲しみながら葬儀を執り行っていればどう思うか、と考えると、全てが負の方向にしか感じられなくなる。

 家に帰って庇護を受けることよりも、一人寂しく死を選ぶ程に家族の事を嫌っていたのだ。そんな家族との思い出を棺に入れて欲しいと思っているだろうか、火葬されるまでずっと離れず居たいなんて思うだろうか。

 

 

 親の心子知らず、と言うが、お互い様だろうと思う。

 法名をつける際、10.20.40万とあって、我が家は10万円を選択した。 わかっていた。

 葬式は家族葬にした。とても小さな葬式だった。 想像通りである。

 会食は通夜・葬式共に無しにする、と決まった。 死んでからの諸費用で100万円かかった、死ぬと金がかかる。と愚痴をこぼしている。

 反吐が出る。それで尚、どうして死んだの、なんて棺に向かって語りかけるのだから尚更だ。いっそ冒涜だろうと思わずには居られない。

 

 急な葬儀に出せるような金があるなら、生きている内にかけてやればよかっただろう。中学生になったら買ってやると言われたスマートフォンは、結局17になるまで手に入らなかった。小遣いは高校生で月3000円だった。どう遊べと言うのだろう、昼飯を抜いた。恐らく彼女もそう。

 自殺するその瞬間まで、彼女は3年間に渡る家出状態だった。家出と言っても自立していたし、なんだかんだ生きていく形を作っていたらしいが。

 仕送りも3年間無かったらしい。使っている口座も、電話番号も、登録していた住所も何一つ変わっていないのに。「何かすればよかった」と言う。 死んだからそんなことを言うだけで、死ななければこれから先も未来永劫何もしないだろう。

 

 同罪だろう。自分もまた、何もしていない。する義理があるかと言われればまあ無いというのが正直なところではあるが。

 涙が出るたびに、何の涙かわからなくなる。悲しむほど想ってもいないくせに、悲しんでいるフリをしているようで罪悪感しかない。そんな気持ちを吐き出す場所もないからこうして壁を打っている。 

 いっそ自分も死ねば親も自覚するのかもしれない。尤もこれは思っているだけで、実行する気はサラサラない。私はまだ死ねないので。所詮考えるだけで何もしない所もまた、遺伝じみていてほとほと嫌気がさす。

 

 長生きをしなくてはならないな、と心から思う。せっかくあの世で家族から逃れられたのだから、少しでも長く我々のいない世界で生きてもらうべきだ、と。