無題

 意識が曖昧になると、決まって同じ夢を見る。キラキラと輝くステージに立って、憧れていたアイドルとして歌って踊る自分の姿を。

 意識が明確になれば夢はサめる。でもこの私は夢じゃない。たった今、レッスン室の片隅で座り込んでいる私は確かに存在していて、私は今夢が叶っている。アイドルとしてこの事務所に在籍しているのだから。


 仕事がないアイドルを「アイドル」と呼ぶのであれば、の話だけれど。


 ある日突然、私の仕事はぴたりとなくなった。

 何かヘマをした訳ではない、と思う。確固たる理由があればプロデューサーから説明があるだろうし、それが悪いことなら尚更だと思う。けれどそういった通達が何もない以上、私はただ単に仕事がない、というだけのアイドルなのだと思う。

 仕事がないからといって努力を疎かにはできない。とは言っても、仕事がない以上専属のトレーナーさんも付いてはくれないので、レッスン室が空いている時間に個人で基礎トレーニングをするくらいになってしまうのだけれど。

 レッスン室を後にして更衣室に向かう道中で何人かのアイドルとすれ違う。けれど、その誰とも言葉を交わす事はない。まるで私がそこに居ないかのように。誰もが私の横をすり抜けていく。仕事がなくなった私に居場所はない。


「し〜ずかちゃん!」

 トレーニングを終えて着替えていると後ろから目を覆われて、その上から陽気な声が降り注いでくる。私の知っている限りこういう事をしてくる人はほとんどいないし、その中でも私の上から声をかけてくるような人、となると1人しかいない。

「いい加減バレバレですよ、麗花さん」

 手を払いながら振り向くと、想像していた通りに麗花さんが笑っている。

「まだ『だ〜れだ?』って言ってないのに振り向いたらクイズにならないよ、静香ちゃん」

「毎回同じ事しかしてこないんだからクイズになっていません」

「今日もせっかちだね♪ 来世はカタツムリがいいと思うな。それより静香ちゃん」

 麗花さんがちょっかいをかけてくるときには恒例となったやり取りを行って、同じく恒例となった言葉を放つ。

「今からお出かけしよっか」


 麗花さんは免許を持っている。普段の言動を見ていると危なっかしくて仕方がないような気がするけれど、とにかく持っている。

 だから移動はいつも車で、行き先は麗花さんの気分次第。先週は確か海で、その前は墓だった気がする。


「とうちゃ〜く!今日の目的地はここでーす!」

 そういって車を止めた麗花さんに続いて降り立ったのは、どことも知れない山の麓だった。そう長い時間揺られていた訳ではないから関東の何処かなのだとは思うけれど。それよりも問題はここで何をするのか、という話だった。

「まさかとは思いますけどこれを登るんですか?」

「あ、またクイズ出してもないのに先に答えちゃってる。静香ちゃんはせっかちだね」

 何が面白いのか、麗花さんはけらけらと笑っている。冗談を言っている訳ではなさそうなのが、余計にたちが悪い。

「あの、一応私さっきまで運動してたんですけど……」

「静香ちゃんなら大丈夫大丈夫。登山セットもトランクに積んであるから!」


 恨みを込めた視線を麗花さんに送っても、彼女はニコニコしたままテキパキと荷物を取り出していく。彼女はいつだって私に準備の時間を与えない。一人で準備を終わらせて、心の準備も終わっていない私を連れて行くだけだ。

 私が立ち尽くしている間に必要な荷物を纏め終わった麗花さんがリュックを手渡してくる。車の中は汚いのに登山セットだけは小綺麗に纏まっているんだな、なんて少し感心してしまった。


 端的に言って山登りは退屈だった。

 曇り空であることも手伝って、登山道は酷く蒸し暑かったし、景色を楽しめるような場所でもなかった。

 麗花さんはスキップでもしそうな軽やかさで、汗一つかかず歩いていたけれど、私たちの間に会話はほとんどなかった。「あとどれくらいですか」と何度も投げた私の言葉には、「あともう少しだよ」としか返ってこなかった。


 思っていたよりも道のりは短かった。三十分歩いたかどうか、というくらいで私たちは山頂に辿り着いた。

「ん〜っ!綺麗な曇り空だね、静香ちゃん♪」

 嬉しそうにカメラで写真を撮り出す彼女を横目に、私はリュックと腰をベンチに下ろす。テンションはもうこれ以上下ろせなかった。

「静香ちゃんみたいなタイプでも疲れるんだね。意外かも」

「人をなんだと思ってるんですか」

「うーん、幽霊?」


 それは、と流石に言い返そうとして、彼女と目が合う。ニコニコと笑った顔、ひどく乾き切ったような笑っていない目。私が言葉を紡ぐよりも、彼女が言葉を並べ立てる方が速い。

「ねえ、静香ちゃん

「この山は霊感あらたかなお山なんだって

「何か、感じたりしない?

「しないよね、静香ちゃんはいつもそう

「どうして耳を塞いでいるの?

「ねえ────


 這いつくばって逃げた。柵に阻まれて、それ以上は何処にも行けなくて、目の前には麗花さんの顔があった。目は開けなかったけれど、確かに在る事だけはわかった。

「静香ちゃん、やっぱり来世はカタツムリがいいよ。だって今のポーズ、すっごくお似合いだもん」

 私は泣いているはずなのに、涙は出なかった。声だって、汗だって、何一つ出せやしない。


 意識が薄れていく。

 私はデジャヴを感じた。どうして今まで覚えていなかったのか不思議なくらいに、私は何度も同じことを繰り返していた。

「五十日目を迎えた気分はどう?静香ちゃん」

 何処にも行けない私は節目に辿り着いた。そこを越えても私には何もなかったし、これからも何もないけれど。

 夢が始まる。もう更新されることのない私の、ずっと昔の記憶をリピートするだけの、呪いじみた夢が。