雑記、20

 500円玉を集めている。

 貯めている、と言えるような枚数ではない。だから集めている、である。

 そもそも500円玉は貯めるのに向いている通貨だなと思う。50円玉以下は貯めても使い勝手が悪いし、1000円札以上になると重量はスペースは効率がいいが、私の性格上すぐに魔法少女回胴式遊技機に吸い込まれてしまう。100円と500円なら貯める際の効率は言うまでもないだろう。

 また、消費と貯蓄がいい塩梅になるな、と思う。600円のものを買うときに1100円出して500円をもらう。半分使って半分貯める、もちろん10000円を使う時なんかは使う方の比重が極めて高いけれど、それでもある程度を浪費せずに済むのは利点と言えるだろう。

 そういう訳で、500円玉を集めている。別に貯金箱に入れている訳でもなければ、何かを買うための資金という訳でもない。ただそこに置いているだけ、いつか我慢ができなくなれば一瞬で手をつけるだろうという刹那性が、自分によく合っていると思う。

 書いている順序が逆な気がするが、引越しをした。それも徳島から茨城まで。(まあ言うまでもなさそうだけれど)

 理由と言ってもまあ色々あるのだけれど、何かこれ、というものを挙げるとすれば死にたくなったから。そして死にたくはなかったから。

 死にたい、と思うことは多々ある。わりと些細なことでも息を吸うように希死念慮が首をもたげる方だと思う。ただ、それと同じか更に大きいくらいに、死にたくないという気持ち、言ってしまえば未練が大量に残っている。

 短期的なもので言えば静香のMTWを聴いていないこと。長期的なもので言えばプレイしているゲームのサ終に立ち会うこと、まだ会っていない我が友人に直接会うこと、電子レンジを相打って殺すこと。

 だからまだ死ねない。そう思ったが、徳島に居ては死にたい気持ちの方が上回ってしまうので出てきた次第である。決意から行動までに30時間足らず。数百kmと半生を渡る行動を決める時間としては、ひどく唐突で計画性がないと自分でも思う。

 まあ、正直な話自棄になっている部分はある。我が敬愛する友と直接語らえただけで最早未練の半分は消し飛んだし、それに比べれば他の友人らは有象無象とまでは言わずとも、取り立てるほどの存在ではないし。電子レンジはどうせ殺せない。自分が人を殺せるほど勇敢ではない事は、自分自身が一番よくわかっている。

 だから、最悪首が回らなくなってもその時はその時だろうと思っている。死にたくはないが、生きなくてはいけない理由は大半が消失したから。

 人というものは、常に天邪鬼にしか生きられないのだと思う。

 実家でいた頃は、それはまあ仲の悪い親子であった。話もしないなんて程ではなかったが、口を開けば家を出ろ、生きる価値がない、という罵詈雑言が飛んできていたし、私は私で親不孝な人間なので、じゃあ殺せよと親に迫る事もあった。危うく殺しそうになる事はあっても、終ぞ殺される事はなかった。

 そんな母や父も、私が家を出てからというもの、あの手この手で連絡を取ろうとしてくる。二度と戻る気がない、支援もいらない、という旨を伝えたにも関わらず毎日連絡を取ろうとしてくるのは、どうにも理解に苦しむ。

 前日にも家から出て行けという恒例の台詞が飛び出していたし、私はそれに従ったまでだと思う。理由はともあれ、願いが叶ったのだから素直に喜んで残った3人で仲睦まじく家族として生きて行けばいいのにな、と思う。最後の最後まで子を心配する親、というポーズを取りたいのかもしれない。母は何よりも世間体を気にするタイプの腐った人間だったから。

 全ての存在は滅びるようにデザインされている。

 生と死を繰り返す螺旋に─私たちは囚われ続けている。

 願わくば次の生は訪れないで欲しいと思う。生を断つためには死ぬしかないが、死んだら次の私が生まれてしまうんじゃないか、と考えると死ぬことが一番怖い。

 そう、感じる。