雑記、10

 仕事が出来るがやらないタイプの人間と、仕事が出来ないがやれるだけはやる人間はどちらが罪深いのだろうか。個人的には一緒に仕事をしたいのは前者ではあるが、人間として付き合うならば後者な気はする。と、書いたものの、後者のタイプはえてして頭が悪いのでやはり価値が低いかもしれない。罪を頭に詰め込んでやれば人間の形を取り戻すかもしれないな、と思い全てを擦りつけることにした。


 ナンバリングは10。なんとまあ大抵の物事を三日坊主で済ませてしまう僕が10を数えるまでに至った。感涙ものだな、と思っていたがよく考えるとこの雑記は4が欠けているので実際には9つ目、ということになる。昨日の無題は別枠だと自分の中では思っているし。

(追記)10つ目になってしまった。順番を守ることはやはり大事だと思う。思うだけで行動はしないが。


 正直、何を言っても過去の焼き直しにしかならないような気がする。近況を綴るのは楽しく、アイドルの話をするのは尊いが、どちらも予備弾がほとんどない。せっかくの習慣も最早これまでか、ネタが無くなったらその時は呪詛でも書くとする。


 今日は外面の話。アイドルで言えば天空橋朋花


 自分で言うのもなんだが外面はいい方だと思う。

 すぐに外れてしまう外面ではあるが、比較的いい印象を持たれやすいと思う。人相がいいわけでは決してないが、そこそこ真面目にしている風を装うのが得意なので、大抵の場所で最初は評価されている気がする。あくまでも最初だけは。

 昔からスタートダッシュが得意だ。陸上競技を嗜んでいたし、瞬発力も比較的あると思う。まあ今回はそういうスタートダッシュではないのだが。

 初めて体験する物事に適応する力、という意味でのスタートダッシュが得意だ。大抵の事柄は言われれば初心者のレベルでならばこなせる自信があるし、実際にこなしていると思う。これは自慢にはならないし、むしろ怒られるべきなのだろうけれど、いかなるバイト先の作業にもメモ帳などを持ち込んだことがない。命じられた作業をこなす、という一点においては流れを覚えてしまえるし、同じ作業を忘れることがないからである。

 まあそういう訳で外面がいい。髭と髪を整えてさえいれば。


 天空橋朋花は外面に全振りした女だと思う。この場合の"外面"は、がいめんではなくそとづら、である。

 当然と言えば当然ではある。彼女は騎士団や子豚ちゃんに忠誠を誓わせているわけで、そうあるためには外面が立派でなくてはならない。聖母が人を狂わせるほどに素晴らしい存在に見えるように、見間違うように在らなくては信仰を、忠誠を留めては置けないだろう。

 彼女が内面を露わにすることはほとんどない。ごく稀にそういった描写も見られるが、基本的には外面しか見えない存在である。故に内面の解釈を行う上で、自由度が比較的高いキャラクターだと思う。そして更にそれ故に、解釈違いを起こしやすいキャラクターだとも思う。僕も逆レイプしてくる天空橋朋花には解釈違いを起こしている。可及的速ヤカナ絶命ヲ求ム。

 内面を考えている人の立場が違いすぎる、というのもある。あくまで朋花のプロデューサーとして彼女を見ている人間と、騎士団を名乗るような人間とでは価値観がまるで違うのだろうと思う。スクリプチュア彼氏面無言オタクは流石にどうかと思うが。

 呪詛の割合が多くなってしまった。そういうわけで明後日の方向へ飛んでいった解釈が増えやすいキャラクターだと思う。実際難しいし。


 という前置きをした上で僕の彼女に対する解釈を語る。今までのも解釈のうちだとは思うけれど。


 強い女性だなと思う。恐らくどれだけ磨耗しても人前でどうこうなってしまう事はない、と僕は思っている。

 他人に愛を振りまき、ファンから愛を受け取る。一見その構図だけを見れば互いを補完し合う幸せな構図に見える。けれど、彼女はそうはなれない。自ら掲げた聖母という看板は簡単に下ろせるものではないし、自らの弱さを露呈するような行為などもっての他。それに対して、ファンや騎士団は完璧であるどころか、その立場を維持する必要すらない。結局はアイドルのファンであって、飽きれば関心をなくすだろうし、他のアイドルにうつつを抜かしても良い。所詮どれだけ彼女を崇めていても、数あるアイドルの一人であることは揺らがないのだから。


 狂信者は永く続かない。

 狂うには相応の理由がいる。元から狂人であるならば話は別だが。

 狂う、というのは正常な状態ではない。ならばいつかは正気に戻る。狂気のままで永劫の時を過ごせる人間は狂人と呼ばれるものだし。

 狂信者は何かと出会ってしまったから狂うものだ。極めて尊いものに出会って、それを信じずにはいられない、狂ってしまうほどに。だから最初から狂っている人間は狂信者たりえない、と僕は思っている。


 彼女を信じ続けてくれる人間は存在するだろうか。僕は存在しないと思っている。

 プロデューサーは最も長く特別な存在であってくれるだろうけれど、やはりこれも永久ではない。アイドルには寿命があるし、アイドルでなくなった彼女がプロデューサーと共にある世界を僕は受け入れ難い。


 聖母に並び立つ者などはいない方がいい。あくまでも孤高の存在で、綺麗で、強い。汚されても汚れない。外面がどこまでも美しいから。汚れても壊れてもすぐに繕う。全てをブラックボックスに溜め込んで。


 天空橋朋花の幕引きは死が良いと思う。聖なる者とは愚かな者によって踏みにじられてこそ真に聖なるものとなる。

 きっと彼女は抱え落ちる。伝えたかった感情も、与えきれなかった施しも、清いも穢れもまとめて抱え込んで、愚かな私達には何も伝えずに死んでいく。

 そして私達は彼女を解釈する。答え合わせのない問題を延々とこねくり回して、考えた人の分だけ聖母が生まれる。嗚呼、これを神話と言わずしてなんと言うのか!


 かなりズレた。嘘はついてないが。11に書いた通りこちらの方が先に書き始めているため、こちらは3週間ほどの期間がかかっている。流石に何も覚えてはいなかった。



 彼女がプロデューサーと繋がるとすれば、それは地獄そのものだと思う。僕はそれを望まないが、その世界も見てみたい。

 結婚を発表するも猛バッシングを受けて、朋花ほどにメンタルの強くなかったプロデューサーは自殺、未亡人となった朋花は唯一の遺産である仔を愛でて余生を過ごす、くらいであってほしい。

 以上、蛇足。これにて