雑記、22

 1日に朝は何回来るか。

 当然ながら1回なのだが、何も成す事のない日々を送る私にとっては0でも1でも同じ事だと思う。いっそ来ない朝を待ち続けて夜の中に生きられたらどれだけいいか。



 生産性のない行動に快感を覚えている。

 積み重なるものがないゲームを惰性でプレイすることが日課だし、返ってくることが決してないと分かっていながら愚者に善意をばら撒いている。想い人に好意を伝えるのはひどく難しいが、他人に悪意をぶつけることや、偽物の善意を与えることは容易い。私は私の信じる物から離れ、偽物の信奉を捧げて生きている。


 人は己の摂取した物で構成されている。

 バランスの良い食事をする人間は基本的にインスタント食品しか食べない人間よりも健康だろうし、桃娘なんかはそれを極限まで煮詰めたようなものだろう。

 体がそうであるなら、心もそうであるのではないか。恐らく、罵詈雑言だけを受け続けて育った人間にまともな人間はいないし、美辞麗句だけを並べられて育った人間もまた、健全とは言い難いだろう。同じ話で、言葉もバランスが必要なのだ。


 程度の低い人間と語らう事はマイナスにしか働かない。

 勿論、一時的な付き合いであったり、知見を広める為のツールとして友好関係を築く事は必要だと思う。けれど、長らく付き合う事になる、広義的に言う友人にあたる人物は、やはりそれなりの価値観を持った人間である事が望ましいだろう。少なくとも私はそう思う。

 空気が読めず(読まない、とはまた違う)にコミュニティを不快な場所にさせる人間とは関わりたくないし、尊い物を尊べない人間は友人だと認識していない。


 一生に朝は何回来るか。

 80年生きれば約3万回だろうか。生まれた瞬間は心地の良い朝の世界だったのかもしれないが、生きていくに連れて歓びは色褪せて行く。暗く、冷たく。

 いっそこれが夜ならば良いと思う。いつかは暗い底から掬い出されるのだから。

 朝です。灰色。