雑記、20

 500円玉を集めている。

 貯めている、と言えるような枚数ではない。だから集めている、である。

 そもそも500円玉は貯めるのに向いている通貨だなと思う。50円玉以下は貯めても使い勝手が悪いし、1000円札以上になると重量はスペースは効率がいいが、私の性格上すぐに魔法少女回胴式遊技機に吸い込まれてしまう。100円と500円なら貯める際の効率は言うまでもないだろう。

 また、消費と貯蓄がいい塩梅になるな、と思う。600円のものを買うときに1100円出して500円をもらう。半分使って半分貯める、もちろん10000円を使う時なんかは使う方の比重が極めて高いけれど、それでもある程度を浪費せずに済むのは利点と言えるだろう。

 そういう訳で、500円玉を集めている。別に貯金箱に入れている訳でもなければ、何かを買うための資金という訳でもない。ただそこに置いているだけ、いつか我慢ができなくなれば一瞬で手をつけるだろうという刹那性が、自分によく合っていると思う。

 書いている順序が逆な気がするが、引越しをした。それも徳島から茨城まで。(まあ言うまでもなさそうだけれど)

 理由と言ってもまあ色々あるのだけれど、何かこれ、というものを挙げるとすれば死にたくなったから。そして死にたくはなかったから。

 死にたい、と思うことは多々ある。わりと些細なことでも息を吸うように希死念慮が首をもたげる方だと思う。ただ、それと同じか更に大きいくらいに、死にたくないという気持ち、言ってしまえば未練が大量に残っている。

 短期的なもので言えば静香のMTWを聴いていないこと。長期的なもので言えばプレイしているゲームのサ終に立ち会うこと、まだ会っていない我が友人に直接会うこと、電子レンジを相打って殺すこと。

 だからまだ死ねない。そう思ったが、徳島に居ては死にたい気持ちの方が上回ってしまうので出てきた次第である。決意から行動までに30時間足らず。数百kmと半生を渡る行動を決める時間としては、ひどく唐突で計画性がないと自分でも思う。

 まあ、正直な話自棄になっている部分はある。我が敬愛する友と直接語らえただけで最早未練の半分は消し飛んだし、それに比べれば他の友人らは有象無象とまでは言わずとも、取り立てるほどの存在ではないし。電子レンジはどうせ殺せない。自分が人を殺せるほど勇敢ではない事は、自分自身が一番よくわかっている。

 だから、最悪首が回らなくなってもその時はその時だろうと思っている。死にたくはないが、生きなくてはいけない理由は大半が消失したから。

 人というものは、常に天邪鬼にしか生きられないのだと思う。

 実家でいた頃は、それはまあ仲の悪い親子であった。話もしないなんて程ではなかったが、口を開けば家を出ろ、生きる価値がない、という罵詈雑言が飛んできていたし、私は私で親不孝な人間なので、じゃあ殺せよと親に迫る事もあった。危うく殺しそうになる事はあっても、終ぞ殺される事はなかった。

 そんな母や父も、私が家を出てからというもの、あの手この手で連絡を取ろうとしてくる。二度と戻る気がない、支援もいらない、という旨を伝えたにも関わらず毎日連絡を取ろうとしてくるのは、どうにも理解に苦しむ。

 前日にも家から出て行けという恒例の台詞が飛び出していたし、私はそれに従ったまでだと思う。理由はともあれ、願いが叶ったのだから素直に喜んで残った3人で仲睦まじく家族として生きて行けばいいのにな、と思う。最後の最後まで子を心配する親、というポーズを取りたいのかもしれない。母は何よりも世間体を気にするタイプの腐った人間だったから。

 全ての存在は滅びるようにデザインされている。

 生と死を繰り返す螺旋に─私たちは囚われ続けている。

 願わくば次の生は訪れないで欲しいと思う。生を断つためには死ぬしかないが、死んだら次の私が生まれてしまうんじゃないか、と考えると死ぬことが一番怖い。

 そう、感じる。

雑記、19

 懐が温かくなった。
 これはカイロを腹に巻いた、とか恨みのこもった刃を腹に受けた、とかそういう話ではなく、単に収入のない自分の財布に久しぶりに札が入ったというだけのことだ。
 理由はゲームを売ったこと。

 まず自分の主義は、ゲームは基本的に売らない派だ。そもそも未だにDSやPSP時代のゲームを引っ張り出してきてプレイしているクチなので物持ちが良くて、売る必要がないとも言える。
 ただ先日(先日というのも憚られるほど先の日だが)、敬愛する某氏が「ゲームは売って次のゲームを買う糧にする」と言うのを聞いたので、そうした次第だ。
 まあとは言っても、わりとゲームはやり込む方でしかも複数を同時進行するので進みが遅く、満足する頃には大概時期が過ぎ去っていて、叩き売りされるものというイメージがある。(過去に売ったアイマスプラチナ何ちゃらとMHWは合わせて100円だったし)
 そういう訳であまり期待せず店に行った訳だが、まあいい方に予想外だった。
 ニーアは売れるだろうなと思っていたが、ステラステージやアンテまでマトモな値段が付くとは思わなかった。2020年にもなって誰がプレイするんだよ。
 まあそういう訳で金を得た。二度とプレイしない作品だっただろうし少しの間の食費に消えるだろうがまあこれも糧ではある。

 自分の持ち物を売るのは気が引けるな、と思う。
 小さい頃から物にも精神が宿っていると思っているタイプの子供だった。ぬいぐるみをしまい込むのはかわいそうだと思っていたし。
 自分の物の価値を他人に量らせて金銭と交換するというのは、ひどく冷たい行為だろうと思う。流石にこの歳にもなって無機物に情が湧くわけではないが、それでもどこか背徳的な行為のように感じられる。
 人の体は幾らの価値だったか。 200万だったり3000万だったり2億だったりと解釈が分かれるようだが、そんな風に値を付けられる存在にはなりたくないな、と思う。
 木端のゴミと同じ価値に生きるより、粗悪で無価値な不良品として世を謳うような人間でありたいと思っている。

雑記、18

 雨よりは晴れが好きだと思う。


 オタクにしては珍しく(最近は普通のことかもしれないが)、運動が好きで、昔から運動部に所属もしていた。競技そのものにのめり込むタイプではなかったが、体を動かす行為そのものは好きだ。

 自転車に乗ることも好きで、必要であるとはいえほぼ毎日乗っている。日平均20kmは下らないので1年で1万km近く乗っている計算になる。道理でガタが来ているわけだ。

 そういうわけで、雨はあまり好きではない。動けないし、面倒だし、洗濯物だって乾かない。まあ雨の中でもゲームセンターは開いているわけだが。


 それとは正反対に、好きになるキャラには雨が似合う子が多いなと感じる。

 真っ先に思いつくのは最上静香…ではなく三峰なのだけれど。まあ最上も似合うとは思うが、三峰には一歩遅れをとっていると感じる。というか三峰が雨と合わせることを前提にしているかのようなキャラ造形をしているが故だと思う。パーソナリティに雨を冠しているような女と張り合うのは無理筋というものだ。

 話が脱線した。まあ他の好きなキャラにも雨が似合う子が多いと思う。暁美ほむらのトラウマたる心象風景は雨に沈むまどかだし、梅木音葉はそういった自然現象との親和性が極めて高い。まあ、僕自身がある程度憂いを帯びたキャラが好きな事が多いのにも起因しているのだろう。


 晴れと雨は対比の関係にある。

 厳密に言えば晴れと曇りだとか、雪だとか、そういったものも当てはまるのだろうけれど、天気を用いて対比するペアを作れ、と言われれば大多数の人間は晴れと雨を提示するだろうし、そういうものとして認識するだろう。

 晴れにネガティブなイメージがつくことはほとんどない。光と闇、希望と絶望、勝利と敗北、etc… よっぽど捻くれたオタク以外は左方の要素が晴れに当てはまると解釈するだろう。


 雨がキャラの要素として入ってくるということは、即ち陰りを帯びた一面のあるキャラだ、ということだと思う。一々詳細を説明するのは面倒なので省くが、前述したキャラは例外なくネガティブな要素を抱えている。

 そもそも、ネガティブな要素を持たないキャラの方が珍しい、という話がある。正直反論のしようがないので、都合のいい解釈ということでどうか。


 絶望に押し潰されるキャラクターはかなり好きだ。

 肉体的にはまだ動けるままに、無力さを理解らされて自ら抵抗をやめ嗚咽し続けるタイプの奴がぱっと思いつく中では最も好みだ。犠牲になるのは本人以外の全てであってほしい。

 言うまでもなくこれは性癖の話なのだけれど、性癖とは不思議なモノで、相反する2つのモノが両方刺さるという事が往々にしてある。

 実際、希望と絶望なんかはその例のひとつで、僕は打ち拉がれる物語が好きなのと同じように、希望と正義が勝つ物語にもまた感動を覚える。勿論そのものの質には依る。


 一概にどちらが好き、とは言い切れないと感じる。そもそも相互に高め合う作用がある以上、どちらかだけを得続けていればいつかはそれを尊いものだと認識できなくなる。常勝の存在の勝利に感動は無いし、最初から全てを諦めた存在が惰性で絶望へとひた走る物語というのはカタルシスに欠ける。


 前文でそう言っておいて、という話はあるが、僕は正義が勝つストーリーの方が好きな質だと自認している。本質がそちらに傾けられているかはわからない。

 自分の内面の話になるが、努力は報われるべきだと考えている。

 研鑽を積み重ねた人間はその分成長が得られて然るべきだと思うし、逆に不正な方法で利を得ようとする人間は罰を受けるべきだと思う。もっとも、僕自身は後者にあたる立場だと考えているのだけれど、全てに平等に評価が下るのであれば自分も相応の罰を受けるべきだし、そうありたいと思っている。

 そういうわけで、やはり努力をしたキャラクターはその分報われてほしい。他人のために奔走した結果が虚無というのでは、何ともやりきれないだろう。(それが物語のスパイスとなるという面は勿論ある。だからこそ僕はそちらも好きだ。)


 着地点が見えなくなったのでおわり。

 北上麗花は晴れのキャラクターというよりは、曇天の中で満面の笑みを浮かべているキャラクターだと思う。

雑記、17

 16が飛んだ。普通に16を上書きしてもいいのだけれど、既に3つもあるボツの16をどうこうする気にはならなかったし、これも16にするとまたボツの藻屑と消えてしまいそうな気がした。だから、これは所謂ゲン担ぎだ。今日こそは出すぞ、と決意を込めて。


 目を洗うのが怖い。

 昔から水の中で目を開けられない質で、プールに入った後も水道水を掬って目を擦る程度にしか洗ったことがない。それは大きくなった今も変わらなくて、シャワーを浴びるときにも顔に水がかかる状況では強く目を瞑ってしまうし、意識したとしても治せるような物ではない。十数年の間染み付いてきた恐怖心が、目を開く事を拒絶する。


 取り返しのつかない事を恐れている。

 と、書くと当たり前の事のように思える。誰だってそうで、取り返しのつかない事を恐れないような人間は大半が未来を迎える前に死にゆくものだろう。

 ただ、僕は自分でもそれが過剰すぎるきらいがあると自覚している。高所恐怖症に閉所恐怖症(これは最近和らいでいる)、水も虫も動物も、基本的に何もかもが苦手だ。

 単純にビビリであるというのは正しい指摘だと思う。明かりの付いていない廊下を歩いて手洗いに行くのも嫌だし、ジェットコースターにもほとんど乗れない。高3の遠足のUSJでビビリっぷりを遺憾無く発揮して、和を乱した記憶もある。


 我々、所謂『オタク』という生物は、死という概念を軽薄に扱いがちだと感じる。

 推しが作品内で死んだ、なんていうのは今日日珍しくもない話だし、推しが殺す側に回ることもある。そうでなくとも二次創作では死だのグロだのが跋扈する世界である。

 自分自身が、死を軽薄に考えているな、という気づきを最近得た。

 知っての通り、僕は推しを殺すのが好きだし、推しに殺させるのも好きだ。最上は二次元のキャラクターにしては珍しく、連続した世界を有しているキャラクターで、それ故に時間や死といった概念と非常にマッチする。天空橋は狂信に応える事を選んだし、北上はそもそも実在性に難がある。どちらも死を結びつけやすいキャラクターだと感じる。


 では、彼女らが死ぬストーリーばかりが欲しいか、と問われると、当然のことながら答えはNOである。別に僕は彼女らの魅力を死にしか見出していないわけではない。


 忘れてはならないのは、死はスパイスであるということだ。それもとびきり苛烈な、一粒で何もかもを塗り潰してしまうほどの。


 自らの性癖の都合上、普段目に入るものの中にも闇性癖と分類されがちなものが多いと思う。

 僕の世界は僕の見たもので出来ている。少なくとも観測範囲は見えるものだけだ。だから、僕は見えるものだけを見て、世界には闇の性癖ばかりが溢れていると勘違いしてしまう。それは言わば個人の思想の最先端、溢れ出る欲望の中の一つでしかないというのに。

 そうやって、基準は徐々に狂っていく。アクセントとして使われるべきであるはずの死や不幸はいつの間にか彼女らの日常に侵食し、希少性と新鮮味を失っていく。


 一周廻って、ただの死ではストーリー性をあまり深く感じられなくなってしまった。本来は雑に消費されるべきではない筈の死が、今や僕の中では通常の出来事の一片として処理されてしまう。

 まあこれは死に限った事ではなく、人は一度見たものには耐性がついてしまうというものなのだろう。死後、異世界に転生するタイプの作品も最初は画期的だったのだろうし、タイムリープものも初めて触れた時にはよく練られたシナリオに舌を巻いた。だが、それらも今となっては特別目新しいものではない。差別化要素こそあれど、全く新しい概念として誕生しているわけではないから。


 また日を跨いだ。これが何を意味するかというと、着地点を喪失したということである。やはりプロットは大事なのだな、とまた一つ学びを得た。


 全く別の話を最後に少しだけ。

 他人に気を遣えない人間が嫌いだ。

 例外として、二度と関わる気がないような相手の場合は別とするが、それ以外の人間に対して最低限の礼儀を払えない人間を嫌っている。

 この場合の礼儀が何に当たるか、と問われれば明文化するのは難しいので、日本人らしい『暗黙の了解』というやつになるのかもしれない。

 あまり自分で言うものでもないとは思うが、人への対応にかなり気を遣っているつもりである。僕自身の特性として、悪と断じた物には殴りかかるというものがあるため、万人に対してそう、とは言えないが、少なくとも友人と認識している人間には配慮をしているつもりだ。

 まあ、だからお前もそうしろ、とかそういうわけではないが、それでもやはり相手がこちらを慮っていない発言をしていると、少し悲しくなる。それが決め手で交友関係を絶った相手もいる。


 そういうことです。最近は悪夢を見ない。(まともな睡眠をとっていないのもある。)

雑記、15

 もう15か、と思った。

 ついこの間10を数えたばかりな気がするし、ブログを始めたのもついこの間のような気がする。実際には2ヶ月程度経っているはずだけれど、感覚としては本当につい最近のように感じる。とはいえ2ヶ月ちょいで15個、頻度にすれば4日に1個の文を綴っていると考えればそこそこのものではないか、と思う。少なくとも三日坊主にはなっていないわけだし。


 今日はよくわからない話。いつものことではあるけれど、最早主題すらよくわからないのできっと着地点は見つからないのだろう。どうか乱雑さを楽しんで。


 ツイートでも話したが、アイドルの解像度が上がってきたと感じる。特に14歳組とその周囲のメンバーに関してはかなりのレベルなのではないかと自負している。実際にはただの勘違いオタクになっている可能性もあるけれど。

 基本的に僕は頭の中でキャラクターを動かして、彼女らが話したり動いたりしたことを文章にすることで創作もどきの何かを作っている。

 最近は静香と未来に関しては常時頭の中に飼うことにしている。前回の記事でも話した通り、ここ最近は現実とそれ以外との境界が曖昧になりつつあって、脳内の彼女達が現実に漏れ出てくることも多々ある。いよいよ末期だなと自分でも思うが、なんともならない。現実に最早興味を持てなくなってきてしまったのだから、空想の産物に縋ってしまうのも仕方がないというものだろう。


 不眠症のケがある。これも最近。

 というか、眠ることをひどく恐れている節があるのと、やりたいことが多すぎて寝る時間がもったいないというのが複合した結果、といったところか。

 眠るのが怖い。悪夢を見ることはとても怖いし、今日という1日にケリをつけることも怖い。センチな感情は膨れ上がると止まらないし、暗闇で目を瞑っていると吐き気を催してしまうので、最近は電気を煌々と付けたまま就寝することがほとんどになっている。

 ただ、昨日はよく寝られた。やはり尊い存在によるセラピーを受けることは精神の安定の特効薬なのだなと感じる。昨日は起きてから寝るまで2人の尊い人間を反復横跳びしていたし。


 闘争心を燃やすのが難しくなった。

 これは別に何かが変わったというわけではなく、僕のいつもの周期的なものだと思う。大体連続ではしゃいでいた時期が過ぎ去ると、しばらくは何もしないでいいかなという気持ちになる。まあまた首を突っ込みたいような事案があれば喜んで闘争心を燃やすのだけれど。

 だから今はしばらく正義の心はお休みの期間。枯田やら鬼怒やらうまおやら、首を突っ込みたい案件は多数存在するが、どれも食指が動かない。やはり動機として弱いのと、時期が悪かったなという感じがする。


 まあとにかく最近は無気力で、日々社不を打つか、バイトをするか、そうでなければ家で寝ているかくらいしかしていない。文字も書いていないし、生産的なゲームもしていない。何とかしたいとは思うが、如何ともし難い。


 少し短い気がするので、ちょっとだけアイドルの話をすることとする。伊吹翼。

 今僕の中でアツいアイドルの一人である。元からかなり好きな方に入るので、更にそれが燃え上がっている感じ。

 本人の魅力もさることながら、僕の推しと絡んでいることがとても多いなと感じる。静香、未来は言わずもがな、志保や麗花(麗花に関しては幻覚が混じっている気がする)、瑞希なんかともそこそこ絡みがあるように思う。

 絡んでいるから好きになったのか、好きになったから絡んでいるキャラも好きになったのか。まあ多分どっちもだろう。


 翼が意図して敬語を使っているという事実を知れた。(情報提供感謝) 可愛がられるため、というそこそこ不純な動機ではあるけれど、そこに至るまでのプロセスとして 礼儀正しくする→可愛がられやすい というのがあるはずなので、まあ礼儀をある程度弁えているというのはあながち間違いではないはず。

 とても解釈に合う。彼女はよくメスガキキャラであったり、生意気なクソガキキャラとして描かれることがある(実際生意気なので別に間違ってはない)と思うが、本質として性格が悪い訳ではないし、人並みには配慮ができるキャラだと解釈している。実際、†聖書†であるところのゲッサンでは、自信のないジュリアのためにライブ中の動きを変えたり、初めてステージに立つ未来に気を配っていたりと、他人を慮る彼女が描写されている。(その反面、なぜか静香には厳しい気がする。というか、言うことを聞く気が微塵もない)


 まあとにかく自分の解釈と一致した伊吹翼が公式でお出しされたので、結構嬉しい。解釈の方向が間違っていなかったこともわかったし、より彼女の解像度が上がったような気がする。


 今回はこの辺で。特に何も考えずに書いたが、案外いい感じなのではないかと思う。着地しているとは言い難いか。


 あとこれは最低な気付きなんですけど、駒形はシコれる。おわりだよ〜

雑記、14

 今日の主題は夢。最上静香にとってのアイドル、みたいな話の夢ではなく、睡眠を摂る際に見ることのある方の夢について。ナンバリングの話は思いつかないので省略とする。

 夢をかなり鮮明に覚えている方だと思う。というか、夢と現実の境界が曖昧になることが多々ある。具体的には、夢の中でガチャを引いて推しが当たったと思ってそのままスマホを開いたり(現実では当然ガチャを引いてすらいない)、夢の中で労働をしてそのまま目が覚めたのでバイトがもう終わったと勘違いして二度寝をしたり(とても間抜けだと思う。こんな理由は話せないので寝坊とだけ言ってこっぴどく叱られた)、とエピソードに事欠かない。
 まあこんな風に実害が出ているのだけれど、これらはあまり問題ではない。真に問題なのは、悪夢を見た時である。

 わりと頻繁に悪夢を見る。覚醒しても尚、その情景が断片的にトラウマのようにこびりついたままの事が多々ある。
 しかもその悪夢と現実の区別がつかない。夢の中の出来事であるとはわかっていても、酷い夢を見た日の朝は大抵コンディションが悪い。
 最近は内容をある程度覚えていればアウトプットすることにしている。とは言っても記憶している限りまだ2回だけだが。

 夢は深層意識の表出だとか何とか、昔聞いたような気がする。内容によって意味を類推するのは占いのようで幼稚なので調べたりはしていない。けれど、なんとなく自分の中でこうなのだろうな、と考えているものがある。
 多分、孤独を恐れている。
 というか、誰かに置いていかれること、を恐れている節がある。目覚めの悪い夢の多くが、覚醒する直前に誰かと離別して終わっている。僕が離れていくタイプのものもあれば、向こうが離れていくタイプのものもある。

 自覚している性格の一つに、コミュニティにできるだけ多く入ろうとする、というものがある。これは以前一部の人間には話している。簡潔に言ってしまえば、「自分が嫌われたくないので、常に会話の輪の中に入り続けておく」という処世術である。
 自分一人の意思だけで、誰かを嫌いになって、それをコミュニティに発信できる人間は稀だ(鯖主なんかの権限を持った人間を除く)。
 ほとんどの場合誰かがコミュニティから排斥される流れというのは、[誰かが嫌いになる→陰口の要領で他のメンバーに伝わる→それによってまた嫌いな人間が増える→]この流れを繰り返していくものだと思う。そして、彼を嫌いな人間の勢いが一定以上になった時、彼はコミュニティから排斥される。

 では排斥されないためにはどうするべきか。様々な案があると思うが、僕が採用しているのは、常に会話の輪の中に入り続ける、というものである。
 理屈は単純で、僕の目の前で僕の陰口を叩く人間はいない。つまり常に僕がそのコミュニティのありとあらゆる会話に参加していれば、少なくともそのコミュニティにおいて僕の陰口は発生しない。僕に対する憎悪が集団心理によって膨れ上がる事はない、と言える。
 もし仮に外部ツールなどで一部のメンバーだけを集めて話をしているようなら諦めましょう。そこに呼ばれていない時点で負けなので。

 少し話が脱線した。
 要するにとにかく多くのコミュニティの多くの会話に入ろうとする習性がある。それは別の存在としてのアカウントを動かしていることに通ずる。Laccのままでは入れないコミュニティに入るためにはやはり必要なことなので。
 それ故に、人が離れていくというのは恐ろしい。離れていくには理由が存在する。嫌われたにしろ、繋がっておく価値がないと断ぜられたにしろ、基本的にネガティブな意思がそこには介在している。
 最近はそれを痛感させられる事が増えた。多く手を伸ばした分、届ききれない領域のコミュニティが生じてしまう。

 夢と現実の境界が曖昧になっている。いずれ僕は現実でも人に離れられて、泣き散らす事になるのかもしれない。その時には覚醒という救いはないわけだけれど。

雑記、13

 13だ。13と言えば不吉な数字というイメージがある。13日の金曜日もそうだし、神話でも13人目の存在は大抵ロクなことにならない。個人的には昔やり込んでいたゲームのパネルで13を引くと所有している商店の価値が13%下がるのが最も強く想起される。BGMも相まって軽いトラウマにすらなっている。シリーズをプレイしたことのある方は分かってくれることだろう。

 まあそんな訳でナンバリングは13。忌み数を回避するような良い子ちゃんではない。


 今日の主題は矛盾。アイドルは思いつかないが話をするかもしれない。


 最近自分は矛盾した行動を取ることが増えたなと感じる。

 ミリシタを頑張りたいと言いながらスロットを打つ。金が欲しいと言いながらバイトをサボる。タスクが残っているにも関わらず暇を謳歌する。正義を標榜しながらも全力を尽くさない。

 ここまで挙げて、ただ単に社会不適合者の化けの皮が剥がれているだけではないか、と気づいてしまった。矛盾でもなんでもない。これは私の本質そのものだろうし、こんな話をしてもしょうがない。以上、終わり!


 まあそう感じた訳だが、話したいことはあるので話す。一応思考と行動が矛盾しているのは事実な訳だし。

 誰も彼もある程度は矛盾を抱えて生きているものだと思う。そもそも労働を好んでこなしている人間が極めて少ない以上、大多数の人間は嫌なことの為に人生の大半を投げうち、本当にやりたいことをやらないまま死んでいくのだから、これを矛盾と言わずしてなんというか。


 自分は元々ダブルスタンダードが多い人間だと認識している。尤も、僕はこれを悪い事だとは認識していない。良い事だとも思わないけれど。

 人間は日々進歩している生き物だと思う。すごくどうでもいい僅かなことであっても、それは僕達の記憶領域に確かに積み重なっている。恐らく昨日よりは多くの事を知っているし、経験している。マイナスの経験であってもそれはプロセスとして根付いているのだから、悪い事ではないと思う。

 そういう生き物であるからして、ダブルスタンダードというものは往々にして起こり得る。

 過去の発言は今の自分の発言よりも思慮が浅いものがほとんどだ。それは当然のことで、何故なら今自分の頭の中にある情報よりも過去の自分の情報は少ないのだから。それならば過去の自分と違う意見を発するのは一概に悪い事であるとは言えない。と、僕は思っている。


 真にダブルスタンダードだと言えるものは何か。僕はこれの素晴らしい例文を持っている。書くとこれが書きたかっただけだろ、などと言われそうだが、断じてそんな事はない。


?ツ夜「(佐藤悟を批判する流れの最中)shsz異母姉妹だけはないわ」

ら?く「僕shsz異母姉妹推しなんだけど」

七ツ?「いやまあ別にいいと思うよ異母姉妹概念」


 うろ覚えだがこんな感じのやりとりがあった事は記憶している。まあそもそも彼はshszを嫌っているくせにヌタさんの『帰路』なんかを変に解釈しようとしている阿呆なので、ダブスタの一つや二つは日常茶飯事だろう。正直不愉快なのでウチのCPには触れないで欲しい。

 これが書きたかっただけだろ。

 はい、そうです。


 主題は消化した。つもりになっている。結局矛盾の何が言いたかったんだ、とか、感情はどうなっているんだ、とかは勘弁して欲しい。こっちの方向にしか指が動かなかった。実の所、雑記13を書くのは2つ目だし、1つ目の方は途中で折れた。ネタがないのだ。

 もうツ夜を擦るか、枯田を擦るか、はたまた厄介を擦るかでしかネタを生み出せる気がしない。ここらが潮時なのかもしれない。


 流石にこんな記事に時間を使ったという気持ちを味合わせたくないので、アイドルの話でもすることとする。


 最近北上麗花がよく頭に入ってくる。意識して頭の中でキャラクターを立てようとしている訳ではない。ぼーっとしているとふっ、と思考に割り込んできて、何やら楽しそうにした後また煙のように消える。北上麗花らしいな、と思う。

 そのせいだろうか、彼女のキャラクターはブレる。そもそも意識してキャラクターを形成していないのに頭の中で好き勝手動いているもんだから、くるくると表情が変わる。かわいい。

 アクアリウスイベの彼女のカードがとても好きだ。覚醒前はそうでもないが、後は彼女の芯を断片ながら感じられてよい。ただの面白幽霊人間ではないのだ。と、認識させてくれる。


 静香のCPを考えるときに、静香の動かし方というものを考えている。彼女は不器用で、変なところで臆病なので、誰かが動かした方がスムーズにことが進む。

 未来は手を強く引いて連れて行くタイプ。翼は前を先導することで、彼女に自分を追わせていくタイプ。志保は歩幅を合わせずに隣で走ってくれるタイプで、プロデューサーは歩幅を合わせて半歩前を歩いてくれるタイプ。


 麗花はどういうタイプになるだろうか、と想像する。方向性としては翼に近いかな、と自分では解釈している。怖がって踏み出せない静香と、その線を軽々と飛び越えて手を差し伸べる麗花。 静香は麗花がいるから前に踏み出せるし、麗花は静香が繋ぎ止めてくれるからこそ、めいっぱい大きく飛び出せる。というのがまあ個人的な解釈である。まあれいしずは恋愛感情には発展しないんですけど。


 あと2人とも死が似合うと感じている。これは前にも話したかもしれない。

 静香はそもそも似合う。有限である事を軸に据えたキャラクター、夢(未練)を抱えた存在、純真さと聡明さを兼ね備えた彼女は死と触れ合う事でいい味を出してくれるキャラクターだと感じる。

 麗花は更に似合う。公式でも常人離れした行動を取ることが多々あるし、どこか浮世離れした人格、時折滲み出る儚さをたたえた像、少女性、強さ、孤独。まあつらつらと書き連ねたが、結局なんとなく直感で似合うな、と感じているだけに過ぎない。これはあくまでも要素だ。


 きっと静香が幽霊になれば麗花には彼女が視えるし、麗花は幽霊になれば当然のように彼女の頭に滑り込むことだろう。けれど、そこに希望はない。麗花は得体の知れない幽霊を救済する術を持たないし、静香は麗花を頭から叩き出すことなど出来はしない。


 結局麗花の話がれいしずの話に化けた気がする。まあCPの話をしたくなるのはいつものことだし、麗花なのだから多少化けるのは仕方がない。今日のおはガチャでも幽霊がサンタクロースに化けて出た。

 子供の頃のクリスマスプレゼントは毎年ゲームをねだったのに服やらぬいぐるみやらが届いていた記憶がある。どうもサンタクロースという奴は適当な仕事で生きているらしい。子供に夢を与える、などと言いながら酷いものだと思う。これも矛盾か。


「まだ少女だからプレゼント貰えますよね?」いい歳をした女が空を飛びながら語りかけてくる。



上手いこと締めた感じない?ないか…